「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」名言?奇言?ニーチェの言葉

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

有名なインターネットミームでもあるこの発言。

(ミームって何?という方は、ネットスラングとミームの記事をフラミンゴブログで読んでみよう!)

ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844年~1900年)の著作『善悪の彼岸』146節の言葉です。以下のように英訳されます。

“Beware that, when fighting monsters, you yourself do not become a monster… for when you gaze long into the abyss. The abyss gazes also into you.”
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

「神は死んだ」や「超人」といった概念でよく知られてた、その反キリスト教的・反道徳的態度は、哲学者としては“異端”としか言いようがありません。

深淵、怪物は何を意味するのか?ニーチェの言葉を解釈してみよう

この有名な引用箇所には、様々な解釈があります。もっとも単純なのは、「異常者の心理を分析する者は、自分自身も異常者になる」というような事例で説明される“ミイラ取りがミイラになる”的理解です。

哲学者の書いたテクストをどう理解するか、というのは、それ自体が研究のテーマとなりうるほど難しい問題です。ここで、哲学者の名言をどう読むか、というサンプルになるように、この言葉の解釈に挑戦してみましょう。

もちろん、All views are my own なので、読者の皆さんも自由に思考してみてくださいね!

この『善悪の彼岸』は、彼の代表作『ツァラトゥストラはかく語りき』でのいくつもの考えを取り上げ、さらに詳しく述べた著作。明るく、生を肯定する性格の強い『ツァラトゥストラはかく語りき』に対して、高度に批判的、論争的なアプローチを取っていると言われます。ニーチェの、反キリスト教的・反道徳的態度や、哲学の“異端児”というイメージを代表するような著作です。

彼は、過去の哲学者たち(代表的にはカントやルター)が道徳性について考察するときに、批判的感覚が欠けていた疑いがあること、とりわけキリスト教の諸前提を盲目的に受け入れていたことを、この本で非難しています。

キリスト教的な文化背景とくっついた、西洋の伝統的な道徳性を、排し進むという意味で、「善悪を超えた(=善悪の彼岸にある)」領域!というタイトルを付けたそうです。

こうした西洋の伝統的道徳観を批判をしながら、彼が支持するのは感覚主義やモラリスムでした。彼が、キリスト教が勝利する以前のヨーロッパ、特に古代ギリシャにさかのぼって研究し、哲学を再構築した人物である点も理解できます。(プラトン哲学が西洋哲学の中に形を変えて生き残っているということを主張しました。)

深淵を除くこと…ニーチェ、自分の内心について

ニーチェは心理学者ではもちろんありませんし、彼の時代には神経科学も存在しませんでしたが、彼は「自分の心の中をみる」とはどういうことか知っていたということが、彼の著作に現れる知的態度から伺えます。

特に彼は意識の優位という考え方に愛着がありました。そういう状況で、彼がこの格言の全領域を理解していたかはわかりませんが、この格言は「私たちは私達の思考なのだ」と翻訳できるとおもいます、

意識というものは、危険な思考に火がつかないようにトンカチでたたきつづける鍛冶屋のような存在ではありません。思考は、そうした危険なものやその他いろいろなものが融合して構築されるものです。

私たちの全ての「心的表象」は、何かを見たりだれかと話したりして何かを感じるたびに、「移植された」ものなのです。これは、どの感情や心的表象も同じ力を持っているということを意味しません。

それ以前にある心象と、あとからやってくる(何かに影響されたり、何かを感じたときに訪れる)心象の間で、交渉・対決がなされ、あるものは拒絶されます。しかし、もし、ある表象・心象に対して何も対抗するものがなければ、道徳的な善し悪しに関係なく、その表象は心に「移植され」、自分自身のアイデンティティになります。

この意識・無意識の双方向性は永続的なものです。

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例えば、洗練された動作をしよう、と注意を払っているとき、あなたの意識は動作についての表象(善いとおもった他人の動作や、物語で読んだ何かの仕草など)を自分の無意識の中に取り込み、すると改良された動作が自然と出てくるという形で、新しい表象として提示されて戻ってくるというということです。

これは良いものに限らず全ての表象について言えることです。自分の思考が自分自身のアイデンティティであるということ。

この名言に当てはめれば、内容を調べるためであれ、魅力を感じて眺めるのであれ、深淵に意識を向けると、

深淵を覗きこむという行為の表象が、あるいは、覗き込む対象としての深淵という表象、または深淵とは覗き込みたくなる何かがあるという心象…etc. が自分の無意識の中に取り込まれ、何かしらの魅惑的な誘いとなってあなたに返ってくるということです。

他のニーチェの名言には、どんな解釈ができるだろう…??

「深淵」の格言ひとつとっても、様々なことが想像され、解釈しようとすると、色んな思考が広まります。

“Live dangerously ”
人生を危険にさらせ。

これも代表的なニーチェの名言で、アイドルイベントで結婚を発表する行動に繋げた人物の引用によって最近のテレビでもよく耳にするようになりました。ニーチェにとって、あなたにとって、人生を危険にさらすとは??

以下によく引用されるフレーズをご紹介してこの記事を終わりにします。

彼の人生や、哲学的態度、その変遷などを知り、彼は何を言っていたのか、現代において彼の格言・名言はどんな意味を持つだろうかと考えてみるのも面白そうです。

 

“A matter that becomes clear ceases to concern us.”
明らかになった問題に対して、私たちは興味を失う

“Madness is something rare in individuals — but in groups, parties, peoples, ages it is the rule.”
個人にあっては稀有なことである。 しかし、集団・党派・民族・時代にあっては、通例である。

“Fear is the mother of morality.”
畏れは道徳の母

“He who laughs best today, will also laughs last.”
今日もっとも笑う人間が最後に笑う

“Instinct. When the house burns one forgets even lunch. Yes, but one eats it later in the ashes.” 
本能。――家が燃えるときは人は昼食をすら忘れる。されど、灰の上に座って食べなおす。

“The lie is a condition of life.”
嘘は人生の条件である

 

 

 

 

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